北名古屋市と長久手市のサッカー教室マジーアゴールデンエイジサッカースクール「お知らせ・お客様の声」ページ

CONTACT CLASS

MENU

NEWS

NEWS

2023.05.02

とらわれない心

若い頃に読んだ本の再読を機に、世界遺産・興福寺に千手観音像を見に行きました。
以下「沢庵(松原泰道著)」からの抜粋

外国人は千手観音像を「奇怪」と評するが、それは像を偶像と見るからで、思想の象徴と見抜けないところから来る誤解

千手の「千」は数量ではありません
私たちの両手が、どれだけ自他のために働いているかの延べ数
千手観音の全ての手はそれぞれ器具を手にしており、さらに合掌する中央の二手を除き、他の全ての掌に一眼を具えます

沢庵和尚の言葉

「千手観音とて、もし弓を取る手に心が止まれば、九百九十九の手は、皆役に立たない。一カ所に心を止めないことで千の手が、皆役に立つなり」
「是を得心(悟る)したる人は、すなわち、千手千眼の観音にて候」

沢庵和尚は、多くの人たちが、千手観音の真髄を弁えようとはせずに、とかく偶像化したり、批判したり、あるいは幼稚な信仰の対象としている誤解を改めるように論じます。
「一向の凡夫(一般の人々)は、唯一筋に、身一つに千の手、千の眼が御座(お具えになる)して有難いと信じる。また、なまじり(なまじっかな物知り)なる人は、身一つに千の眼があるわけがない、と非難したり悪く言う。訳も知らずに信じるも、また物知り顔に非難するもなく、道理の一つとして尊び信ずること。有の儘に思う(表面だけ見たり考える)も凡夫、また打破(浅い知識で非難攻撃)ればなお悪し。其内(事物の奥)に道理ある事にて候」

敵の身の働きに心を置けば
敵の身の働きに心を取らるるなり
敵の太刀に心を置けば
敵の太刀に心を取らるるなり
敵を切らんと思う所に心を置けば
敵を切らんと思う所に心を取らるるなり
わが太刀に心を置けば
わが太刀に心を取らるるなり
われ切られじと思う所に心を置けば
切られじと思う所に心を取らるるなり

「無心の心はどこかに定まることなく、分別も思案も何も無きときの心、総身に広がり、全体に行き渡る心を無心と申すなり」
「何も思うまい、と思うのもまた何かを思っている証拠だ。何も思うまい、ということも思いなさるな・・・」

 物事は全て急に成るものではない。常に、絶えず自分を訓練することによって、いつの間にかその境地に達することができる。無心の心も例外ではない。

二十年以上前に購入した本からの抜粋ですが、経験を積みこの年齢になったからこそ点と点がつながり理解できる部分も多い。
これからも自分の心に向き合っていきたいと思います。

ALL